2007-12-22
あひ見ぬも
憂きもわが身の からころも
思ひ知らずも 解くる紐かな
因幡(いなば)生没年未詳
『古今和歌集』恋歌五より
あの人に逢わないのも
こんなに私が悲しい思いをしているのも
すべてわが身のしからしめるところ
そんな私の思いも知らず
あの人に思はれている印であるという衣の下紐(ひも)が解けることよ
思われているかそうでないかなどということは
そうわかるものではない。すべては思い込みと妄想からなるものではないか。
もはや失望も落胆もするまい。
思われるということと信じられているということは同じようでも少し違う。
逢えない時間が心を寄せ合う手立てになることもある・
何時かの触れられた感触以外を寄せ付けたくない思いに駆られ
心がギザギザするのがとまらないときもある。
どうして・逢えないのかと悲しいときもある。
“助けて”と何度心のなかで叫んだところで
相手には届くまいと静かに諦めに似た気持ちでいると
いつもより長い便りに
長い長い霧が晴れてゆく。
人生とは・・
めぐり合わせとは・・
不思議な・素敵なものだとつくづく思う。
好きな男の人柄と
恋の行く末を見続けられる今が宝物となっている。
つれづれなるままに・・・
2007-10-06
唇をよせて言葉を放てども
わたしとあなたはわたしとあなた
阿木津 英
熱烈に肌を合わせ、熱い想いに舞い上がっている時も
逢えなくて話せなくて、おまけに言葉も交わすこともなく
相手はいったい何を考え、何に熱中し何に冷めているのか
何に幸せを感じ何を支えとし何に喜びをおぼえているのかを知るすべもなく
ただため息をつく時も
“わたしとあなたは私と貴方”なのだ。
彼女や妻と別れる気もないのに Kiss・sexに及んだり甘言を吐いたり、
つき合う気もないのに食事やデートの誘いを断らなかったり
友達になりたいわけでもないのに、友達以上なたより方をする。
女側にしてみれば、デートを重ねればそれが交際に発展するのだと思い込むし
ひょっとしたら恋人より身近な友達という存在もあるかも・・と錯覚する。
一見片思的でいて99%男側がこうした好意にこたえるアクションを起こしている。
(記述は不正確です)
角田(光代)サン、、云ってくれるじゃないの。。と思ふ(笑)
確かに。
食事もデートもなし、連絡も軽口もなし、一切無視なら
きっぱりあきらめて他所に感情の矛先を向けるよな。
気持ち正して、清清しく心を洗う・・洗いながら此処まできた。
時々毒も吐く。。ひとり・ひっそり、吐くといっても頭のなかで・(小心者)
ときどき、自分の足元をじっとみる。
自分の置かれている最低時点を凝視する。
それでも “わたしとあなたは私と貴方” と
二人遠くの同じものを見つめながら感じながら進んでゆく錯覚と
二人向き合い絶望と落胆に心をついやす今がある。
“片思い”というのは実は男のものだという。
なぜなら、女は数%の望みのない相手をずっと思うことはしないからだそうだ。
ああ・懐かしい・(笑) つれづれなるままに。。
2007-08-02
黒髪のみだれもしらずうちふせば
まづかきやりし人ぞ恋しき
後拾遺755 和泉式部
思い乱れ髪を乱したまま床にうちふす・・・
その時まっ先に恋しく思い浮ぶのは
わが黒髮をかきやったあの人のこと
夜な夜な目が覚めたり早朝に目が覚めたとき、
思いのほか寝苦しい夜だったりすると
汗に乱れた自分の髪に、アノ夜を思い出し
感触まではっきりと憶えて忘れない。
私は此処にも書いてきたし
好きな人へもずっと思うことを書いてきて・・
終わるかな・ もう終わりかな・
と幾度も思うけれど
そのたび、彼の言葉に“終止符”をうつ、その後の虚しさだけが残ることに
何の意味があるのだろうと結局思いなおす。
“終止符”をうって次へと思えない年齢であるし、相手の人柄です。
くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪
かつおもひみだれおもひみだれる
私のくろ髪がみだれます。
そして同時に思いはみだれるのです。
与謝野晶子。
鉄幹との愛に生きた人の歌です。
11人の子供をなし、それでも恋心を保ち、彼を失って後
少しも色あせない恋心のある歌を作り続けます。
もしかしたら、書き続けていたことが恋心から離れることができないで
萌える炎を消さずにおれた所以ではないか。
書く・・という作業は心の整理にもなるし、
愛情を冷まさないで保つ作用があるのではないか。。と考えるこの頃。
つれづれなるままに・・・
2007-06-14
黒白の君の記憶に美しき
渦としてわれは在りたし
日下 淳
くろとしろ・・ ここでは「こくびゃく」と詠むのだけれど
記憶にも気分や思いにも色をつけるとするならば・・
とりわけ黒には悪いこと。白にはいいこと。の区別をしてしまいがちである。
または、公の場所での私と、誰にも見せることのない私の二面性を表すこともある。
長い間付き合っていると、相手の色々な一面を知り嬉しくなったり哀しくなったり
それが公には出来ない思いであれば、落胆することの方がおおかったり
苦しい思いに身を焦がすこともある。
ただ思える、会える、言葉を交わせるだけでいいと、幸せ感じて過ごす白。
決して結ばれることはない。。ということに落胆するけれど安堵もする、
私という存在自体が災いにも十分になりうる事実をみつめての黒。
そんなものを含めたすべてのものを美しき渦のように感じることができて
また、忘れがたい思いとして相手の記憶の中に永遠に在りたし。。
・・・其処までの記憶に残る自信もないかな。。笑
今もし、私ができることがあるならば、それは
深い愛情をストレートに言葉にするのではなく注ぐことかな。。
あと何回、恋に落ちるか、、
大人恋愛をやっていける時間はぐっと限られてくる。
信頼して何でも安心して話せる、身をも投げ出せる異性にめぐり合えるか・・・
となると、考えたら、、考えずとも
自分の性質では難しいよな。。。苦笑。
ならば、今目の前にいる大切な人の手を離すことを考える前に
注げる愛情を余すことなく(自分に対して)示すことが大切な気がするこの頃。
つれづれなるままに・・嵌ってしまった物語。
2007-04-03
春芽ふく樹林の枝々くぐりゆき
われは愛する言ひ訳をせず
中城ふみ子

『愛する言い訳』っているのだろうか。
ふと考えてみる・・言い訳を。
誰に言い訳するのではなく、自分が彼を愛した言い訳。
今もどのくらい愛しているか、他の誰も知らない。
自分自身だって知らないのかもしれない。
彼と初めて結ばれて、即メールで書いたことがあるのだ。
『愛しています』
『愛』というものが
ボロボロになっても棄てることができないもの。
自我の区別なくして愛しいと思えるもの。
であるとするならば、
・・・自分の子供以外に当てはまるものはないな。。と。
それに勝るものはないのです。
随分浅い考えが云わせた言葉と恥ずかしくなるけれど
それはそれで
今はそのときのあんな感情を抱く自分も優しく眺めている・
言葉にしなくちゃ相手に伝わらない。というけれど、
言葉にしないで伝わることがあるならば、
それはなにより深く相手の記憶に入り込むのだろうな。。。
樹林の枝々に春芽が芽吹くことに意味なんてありますか?
好きだという感情に理由なんてナイ
誰に言い訳する必要もないし、誰に止められるものでもない
2007-04-02
たとふれば心は君に寄りながら
わらはは西へでは左様なら
紀野 恵
別れの歌。
このような気分になるときはある。
たとえば・・
思いのつながりを感じないとき。
相手の苦しみを感じつつも肩に手をやることすらできないとき。
傷つきたくないが為先走り、思いを清算したい衝動に駆られるとき。
エイプリルフールであることを後ろ盾にして
いっそはっきり・あっさりと一度気持ち捨て去る覚悟を決めたとき。
(ちょっとリアルすぎ?? 笑)
たとふれば・・
今の二人の立ち位置を喩えたならば・・
“心此処に限りなく寄り添いながら
体は反対の方向を向いて・・ はいサヨうナラ”
“ハイ・さようなら”といえる潔さ。
たとえ愛情と友情を着地点とする恋愛でも
こういった思いを心の片側に抱いている方がある意味いいのかもしれない。
今まで築いてきた相手との繋がり、心の葛藤諸々・・
関わり合い方のすべてを一度棄ててみるのもよいかもしれない。
もしも、惹かれあうものがなにも残されていないなら『左様なら』だ。
『左様なら』の意味も解さない相手なら
それはそれで仕方ないことだと言い聞かせる。
『じゃ・・また』ではなく『左様なら』と書いてみた。
二日続けで早朝にレスが届く。。。
・・・とここで、、つれづれなるままに。
2007-03-18
近江の海 辺へたは人知る
沖つ波君をおきては 知る人もなし
作者不詳
あたしの心の浅瀬は誰もが知っているけど
心の奥の波立ちはあなた以外に知る人はいないのよね
いや・本当のところ・・・
私の心の奥にあるものなんて 自分でもわかっちゃあイナイのかもしれないわ
だから・・オトコとオンナは惹かれあうのだろうか。
そんな風に感じているこの頃。
相手の知っている部分、現在わかっている部分を好きでいて、
なおかつ解ろう・・と努力することが惚れているということだとしたら、
分からない部分がいつまでも好い関係でいさせてくれるのだと納得てしている。
・・・で、つれづれなるままに・・・
2007-02-24
夕卜ゆふけにも占うらにも告のれる
今夜こよひだに来まさぬ君を何時とか待たむ
作者不詳
星占いやいろんな占いに
“今夜はあなたに逢える”とあったけど。。
あなたは来ない
いつまで待ってればいいの?
ひょっとしたら、、もうきてるかもしれない。。。と思うと楽しいかも。
近頃の私は、もう、、莫迦みたいに楽しい方へ・・嬉しい方へ思いを寄せている。
そりゃ凹むことはあるし、
莫迦じゃないの。。と我ながら疑わしく相手の思いに妄想を抱くこともある。
だけど、だ! そんなことを一人ごちゃごちゃ考えるのは時間の無駄な気がしてきた。
そういうことは恋する醍醐味だと書く恋愛指南本もあるけれど、
今はPCに向かってる時間も限られているし、
気がかりなことといえばてんこ盛りくらいある。
それをいちいち気に病むことが愚かしいのと同じように、、
そのことばかりを考えている暇はない。
相手のほうも、私の心の成長には快いが、悲観的な考え方であったり
卑屈な心が見えたときは退いているように感じる。
それだけが理由ではないが、
こうも思うのです。。
私の悩み、心の弱いところ・・そういうのを垣間見せたときに退く相手なら、、
私は追う必要などないのではないか。。。
追う・・というよりは、お互いの距離を空けようと心がける。
敢えて、そっとしておいてくれているのか、定かではないけれど。
人の気持ちはわからないから。
人との距離感が近しく感じたり、遠のいた。。と思ったり、
それは自然なことで操作できるものではない。
またする必要もないのだと、半ば諦め??
いえ・急がなくてよい。。と誰に対しても思うようになった。
そんな私が毎日やっていること。。。
これが自分でも驚き。。。
鏡リョウジ占い。。笑ってしまう。
是まで占いを信じたこともなけりゃ、、占い師のところへ行った経験もない。
どちらかというと、あまりにも信用するものが側にいるから、
反面教師的に避けてきたのだ。
・・でね、毎日いいトコだけ、信じるの。
戒めが書いてあったら素直に心に留置くの。
もし、(タロットなので・・)死神とか悪魔のカードがでた場合・・
私は行動を起こさないことにしている。
笑ってしまうけれど、前向きに、そして冷静に今を見つめる。
ちょっとの時間。ちょっとの気にする時間。。。
自分の行動や心持ちを好い風に・・・見直してみる時間。。。。
信じるとか信じないのことではない。。
好い風に考えるか、
ちょっと静かにしておくのか。。。
こんなことで決めている自分にちょっと驚いている。。。
2007-01-06
新年あけましておめでとうございます。。。
随分身勝手な亀更新ではございますが、
旧年中の私は思うことを“書く”のではなく
“心に溜める”ことが多かったように思います。
書けば発散できるものを、敢えてそうしなかったのは
心の中に閉じ込めて、ちょっとのことも逃がしたくない気持ちが
そうさせたのかもしれないと、、ちょっと臆病になっていました。
それは恋だけの問題ではなく
色んな自分に関わることが分岐点を前にしているようで
その選択に戸惑いもあったのです。
生きていたら誰しもが経験する事柄であって何も特別ではありません。
目前のことに一つ一つ向き合うしか答えはナイのがわかったから
悔いの残らないように今年も頑張ります。
そうすれば道も開けると信じています。
これ以上近づけない悲しみ。。
これ以上離れることはない喜び。。。
距離感の間に流れる空気に幸せ感じて過ごします。
約束の果されぬ故につながれる
君との距離をいつくしみをり
辻 敦子
本年もよろしくお願いいたします。
2006-12-10
つれづれなるままに・・・・
泣いたりしないでこっちへおいでよ
あなたのぜんぶを 抱きしめるよ
ひとりぼっちで怯えたりしないで
あなたの心に さわっているから
悲しみを わかりたいんだ
ぬくもりを 届けたいんだ
泣いたりしないでこっちを向いてよ
本当の言葉で 話そうよ
失くしたものなんて もう忘れなよ
やっぱり本当の笑顔が いいよね
やさしさを 間違えないで
幸せを わけ合いたいんだ
あなたがいる それだけで強くなれるよ
僕がいるよ どんな時だって守ってみせる
やりなおせる 何度だって
大切な夢を 疑わないで
あなたがいる それだけで頑張れるんだよ
あなたとなら どんなあしたでも生きてゆける
泣いたりしないでこっちへおいでよ
あなたのぜんぶを 抱きしめるよ
あしたの話を たくさんしようよ
そう やっぱりあなたの笑顔が大好き
ねぇ 笑って
何の歌の歌詞だかお分かりになります?? 笑
福山雅治氏の“泣いたりしないで”ですよ。。。。
昨日は雨で、それも冷たい冷たい雨が降りしきる中
car radio から流れてきたこの曲に、、
思わず涙したのでした。。。
「あぁ・・・ やっぱり この手の愛に飢えているのかなぁ・」
「優しい眼差しに包まれたいと願っているのかなぁ・」
と甘えたことを感じました。
私は福山氏のファンではありません。
特別美形が好きだとおもったこともありません。
男前な性格は大好きですけれども。笑
傍からみて幸せといわれる夫婦も
こういったこと・いわないよなぁ。。。
恋人同士であっても、此処まで口にしないよなぁ。。普通。
実際にこんなこと言われたら
ひょっとしたら退いてしまうかも。
でもちょっと弱っていた心の隙間に・
するりと入り込んで撫で撫でされた感覚に陥ってしまった。。。
色々なことが起こっていても
静かに夜はあけ明るい日差しがさしてきます。
・・とふと 思ったことを書き留めてみました。。。笑
2006-11-29
あさぢふの小野の篠原しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
百人一首より〜 参議 等
まばらに芽が生えている小野の篠原
篠のように貴方への思いをじっと忍んできたけれど
今はもう思いが溢れてしようがありません。
どうして私ばかり このように貴方のことが恋しいのでしょう
なんて、意味の恋歌を我が息子はわかっているはずもなく、、、
来月の暗唱大会で詠む歌のひとつがこれである。。
おもいっきり丸暗記なのだけれど、、
なんてテンポのよい歌かと感心もする。
意味がわからなくとも口ずさめば、なんとはなく頭に入り
自然に次の句が出てくるから不思議だ。
あさぢうの・・おののしのはら しのぶれど
あまりてなどか ひとのこいしきぃ・・・
つれづれなるままに・・・
2006-11-05
目に近くうつれば変はる世の中を
行く末遠く頼みけるかな
見るまに変わってゆく人の心を
どうして行く末までもと信じていたのか
源氏物語より〜 紫の上
光源氏に最も愛された紫の上の歌。
彼女は愛することに疲れてしまったのでしょうか。。
源氏と恋仲になり、その恋に身をやつし苦しんだ女性は
そのほとんどがゆくゆく出家という道を選んでゆきます。
出家を切望してかなわなかったのがこの紫の上です。
これほど愛された女性はいないにも関わらず
彼女は出家すら叶わないでどんどん病んでいく。
近頃では悲しい女性というイメージが付きまとう。
一途であるということが苦しみの始まりなのかな。
一途になれるというのは簡単なことではない気がします。
いえ・長い間、そうであるべき。そうとしか考えられない日常を送ってきたけれど。
恋というものを知ってのち、気持ちがゆらゆらガタガタしだして
全く一途になれなくなって、私は何者? とわからなくなって。。
人を好きになることは、
その人と同じ方向をみて歩くこと。。。
その人ばっかりを見るのではなしにね。
そんな風に考えるようになった。
時たま声を掛け合いながら
目の前に立ったときは
恥ずかしくない自分でいたい。
源氏のまえでは
心の不安も孤独も嫉妬も表にはしなかった女性。。
私は、ほんとはこんなことを考えていたのよ。。ということ。
自分の心の奥底を知らせたい・・と思ってしまう。
会えない間柄であり
気持ちを許した関係だからこそ
みせられるもの。
愛されている実感より
愛しているという実感にめぐりあえてよかった。
2006-10-14
今日は目に入った素敵な言葉ばかりを書きます。
〜HELLO AGAIN より〜
この世に起こることはすべて
いいことにも悪いことにも ふかい意味がある
大切なのは その出来事から学ぶことなんだ
Whether it`s good or bad,
Things come to us with a purpose.
What`s important is to learn
Something from what has happened.
〜Listen To The Wind より〜
ものごとをなしとげるコツを教えてあげよう
集中、反復、継続だ
目的をしぼって集中する
くりかえしチャレンジしトライしつづける
それができたら 結果はどうあれ
君は人生に感動できる !!
こころが疲れてしまったら
澄み切った青空を見上げなさい
さわやかな大空を吹き抜ける風になりなさい
森の静けさ、小川のせせらぎ
清らかな朝露に 溶けこんでしまいなさい
こころの癒しには 静寂と孤独が必要です
葉祥明氏の絵本からです。
数年前、“生んでくれてありがとう”と人の薦めで出会い、
一言、一言が息子の心の声のような気がして号泣してしまったことを思い出します。
それ以後、なるべく目をそらさず、静かに現実を凝視するようになりました。
2006-10-04
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ
崇徳院
川の流れが速いので
岩にせきとめられる急流が 二つに分かれても
また一つになるように
あの人と今は別れているけれど
いつかまたきっと出逢うことになる
竹内結子・妻夫木聡で映画化された『春の雪』の中で
少女が少年と百人一首のカルタとりをする場面。
自分の好きな歌だと教えるのがこれである。
これから後、自分たちを取り巻く環境・情勢がどんなになろうとも・・
その激しい流れが凄まじい勢いで二人を押し流し・引き裂くことがあったとしても・・という予感。
きっとまたいつか、それでも二人は引き寄せあう運命にあるのだ・・とする確信。
そういったものを、この歌に込めて
少女は少年にこの一首の下の句の一枚を持っていて・・と渡す。
三島由紀夫原作 『春の雪』 は長編 『豊饒の海』・四部作の最初の一部である。
悲恋・赦されざる恋の悲劇・・というだけではなく
美しい情景描写。心理描写の表現。。
日本語・・って素晴らしい。。。と心から思える言葉。
頭の中に映像として流れるほど、その世界観は広がりをみせる。
次は2部へと読み始めるところ。。。
古典的な素敵な表現があったら・・・と楽しみも広がる。
つれづれなるままに。。。 -43-
2006-09-23
安積香山 影さへ見ゆる山の井の
浅き心を我が思はなくに
万葉集 一六・三八〇七
時に
人の心の裏側の、
心の底の諸々までもみえてしまっても
此処にはあなた一途に深く想う私がいます
不機嫌な表情も
此処にくれば 気持ち和らぎ
波打つ心のさざなみも
心のギザギザもなくなるといい
浅い・・あさはかな心で向き合ったりしないから
きっと失望させるようなことはしないから
長くつきあっていると、どんどん相手がみえてくる。。
(・・・だからといって、その人の総てを知ることはできないのだけど)
どんどん好きになってゆく部分もあれば、もちろん“ナニ???”なんて所もみえてくることになる。
深く知りたい・・・知り合いたい・・と思える相手に
この人生の短い間では、そうそうめぐり会えるというものでない。
人生は結構長いのだが、恋というものをしうる時間は非常に短い・・と(私の場合は)感じてやまない。
恋愛力の非常に旺盛な女性もいるから、個々でそれぞれ違うと思うが
“あぁ・・よかったなぁ”と思える恋にいくつ出会うことができるのか。
数じゃない。。たった一度きりでもそんな恋ができるといい。
そしてそんな恋の延長に結婚ではなくてもよい・・気がする。
そういう時期に、そういう相手にめぐりあえたことに感謝。
それ以上でもそれ以下でもない関係が支えている。
愛されすぎたら壊れるのかもしれない。
つれづれなるままに。。。少しでけ -42-
2006-09-17
青柳の糸はかたがた なびくも
思ひ初めてん色は変はらじ
新古今集 一四・一二五二 後朱雀院
好きだから・・・
ちょっとした態度・言葉・表情に敏感になって
心がゆらゆら揺れ動きます。
深くあるそのオモイ・
思い初めたアノ日と変わらず
そう簡単に終わってはしまわない恋なのです
本当のところは二人の妃の間をゆらゆらと、行きつ戻りつしている・・
そんなオトコの心情を詠った歌なのだそうだ。
オトコの心があちらこちらに細い枝をなびかせる柳の葉のように
心移りしようとも・・貴方をオモイ初めたアノ頃をいとおしい。。と思うのだよ。。。と。
こんなことを言われた日には即行で関係を終わらせるだろな。。
人の心は移ろうものと、わかってはいるけれど
それを露骨に見せられたら自らピリオドを打つだろう。。
生きる時代背景が違うとはいえ
オンナ心というのは今の時代も同じではないか。
次はオトコへの返歌。
青柳の糸乱れたる このごろは
ひとすぢにしも 思ひよられじ
一二五一・梅壺女御
オトコの心があの方と私の間で揺れ動き
思い乱れているのなら
もう以前のように私を「ひとすぢに」思って下さることもないのでしょう
と。。。
恋をすれば嫉妬もしょう。
不満も不安もでてこよう。
それでも相手のことが好きでいて。
いつしか・・そんなこと(嫉妬や不安)はどうでもよくなって
相手は私のそういう悶々とも根気よく付き合ってくれて
お互いの存在をしっかり自分たちの一日のどこかに組み込んでゆける・・
相手の気持ちがこちらへ向いたとき
しっかりと自分も相手と向き合い微笑むことができる・・
そうありたいなぁ。。
嫉妬とかを通り越して。
燃え上がる情熱はないかもしれないけど
私でしか得られない安心感だったり、雰囲気を。。
見知らぬ誰かの方へオモイが揺らいでも。
忘れられないでいてほしい。
2006-08-24
赦せよと請うことなかれ
赦すとはひまわりの花の枯れるさびしさ
松実啓子
“赦-ゆる-してだなんていわないで”
こんなセリフは自分を裏切った人間に対して吐く言葉だろうか。。
オトコなら誰しも外でときめきを求め、内では情愛を求める。
なんてことを聞いたことがあるが、なるほどな・と思ってしまった。
赦すとか赦さないとかを超えたところでの情愛なのだろうか。
恋愛において思いが深ければ深いほど
相手に対して落胆し絶望する。
期待しない・と思っても、やはり心のどこかで“思われたい”が作用して
辛い・遣る瀬無い気持ちになってゆく。
どんな恋も絶望・・とまではいかなくても落胆することはあるに違いない。
それは裏切りがなくても起こることで
相手の気持ちなど、理解できるものではないとわかっていながら、、
その努力をする気持ちさえなくなったときが終わりなんだと思う。
赦す・赦さない・・でいえば
赦すことがあきらめ・・終わりを意味していると此処では解釈されている。
だから“赦せ・・・だなんていわないで。終わりにしたくないの”と。
本当にそうだろうか。。
相手の中へ肉体とは別のものの中へ
一歩も二歩も踏み込んでいったとき
私は最後にはやはり赦してしまう。
苦しさから解放される瞬間でもある。
赦してしまう私を放さない相手にも苦しさはやはりあるのではないか。
諦めることは簡単。
続けていく自分を客観的に見つめる自分がいる。
傷つくことや疲れを恐れていては恋愛はできない。
あらゆる人と人とのつながりにおいてもいえることかも。
色々あっても最後は笑い合えたらそれでいいか。。。
ひまわりの花は沢山の種を残し、
また来年も同じ場所に沢山の花を咲かせる。
つれづれなるままに -41-
2006-07-22
〜現代短歌より〜
一生の暗きおもひとするなかれ
わが面の下にひらくくちびる
篠 弘
昭和二十年代の終わり・・・
このことを貴方の一生のなかで
暗い思いをもって振り返るようなオモイにしないで
過ちだったなどと思わないで
少なくとも・今このときの気持ちに嘘・偽りなどナイのだから・・
一大決心をして開くくちびるの
なんと躊躇いのない仕草。
誤判であると知りつつも
反省などしていない自分がいて・
そういった諸々の感情が
一時・全く頭の中からいなくなり
どうなってもいいのと思ふ。
いまどき・一大決心でするキスってナイでしょうか、。
笑・そんな頃がありました。
アノ時と同じキスができるでしょうか、、
アノ頃とは違った眼差しが其処にはあるよな気がして怖くもあります。
一生の暗き思いではなく・
一生のうちでも・稀に見る、甘い記憶として残る。
そうあってほしいな。
つれづれなるままに -40-
2006-07-15
憂身世にやがて消えなば尋ねても
草の原をば訪はじとや思ふ
もし、、私がいなくなったらどうする?
こんなことを聞いたことがない。。
あ・・! 一人聞いた人がいるな。。笑
『生きていけない』 とその人はいったけど
そんなことは嘘で、それほどの思いだと示したかったのだろう。
あぁ・今好きな人に言ってほし・・笑
きっと言わないのがわかりきってるだけに考えるだけ虚し。
いや・ちょっと次元が違う。このような思いの伝え方をする人ではないのだ。
まぁ・いいや。笑
この歌は源氏物語-花宴- の章・・
紫式部が朧月夜に詠ませた歌である。
源氏物語中・・一際妖艶なイメージのこの女性・・・
たしか・ほぼ犯される同然の光源氏との出会いだった・・違ってたら瀬戸内寂聴サン・ごめんなさい。
さて・・
“もう一度 私に逢いたい”と願うなら、、”
“どんな状況にあろうとも、、、
貴方なら時間を作り出すことができるはず。
仮に私との素敵な時間を捻り出せないような薄っぺらな思いいれだけなのなら
私はもう二度と貴方と逢うことはないでしょう。”
いや・違うな・・笑
“どうか私のことを探してください。
そして
もし探し出す情熱がないのであれば
もう二度と貴方に逢うことはないでしょう ”
奔放で情熱的な女性として描かれる彼女の世界観。。
相手の情熱を試すかのようなこの歌は表している。
もし・・このままこの世から私が消えてしまったら
草の原分けても
私を探し出してくれますか?
そんなこと・恐ろしくて聞けません。。
2006-07-06
現代短歌より・・・
風に揺るる鞦韆ひとつ
傷つきしほどは傷つけ来しと思えり
山埜井喜美枝
鞦韆-しゅうせん-とは ぶらんこ のこと
ぶらんこのように
ゆらゆらと
前に大きくゆれては
必ず後ろにも大きくゆれる
ひとつの言葉に傷ついて
相手は気にもとめていないことがあり
ひとつの言葉で傷つけて
私は気にもとめていないことあり
自分からでる言葉には優しい言葉ばかりではなく
時には相手を傷つけてしまう言葉や
傷つけたことすらわからないでいることもある。
そんなことばかりを気遣っていては
素直な自分の本当の言葉がいえなくなってしまうし
相手はそれほど気にも留めていないかもしれない。
実際のところは自分の発した嫌な言葉には
自ら傷つく・・ということのほうが多い気がする。
風が吹くたびゆらゆらと・
どうしょうもなく大きく揺れてしまうのだけど
揺れが全く無くなっては
淋しいのだろうね、きっと・
言葉によって傷ついて
言葉によって救われて
言葉によって優しくなり
言葉によって落胆す。
ブランコ・ぶらんこ ではなく 鞦韆。。
もっとシンプルになればよいものを。
時に頑なな私は
ぶらんこにはなれないのかな。。などと 思ってしまった。。
風に揺るる鞦韆ひとつ
傷つきしほどは傷つけ来しと思えり
山埜井喜美枝
鞦韆-しゅうせん-とは ぶらんこ のこと
ぶらんこのように
ゆらゆらと
前に大きくゆれては
必ず後ろにも大きくゆれる
ひとつの言葉に傷ついて
相手は気にもとめていないことがあり
ひとつの言葉で傷つけて
私は気にもとめていないことあり
自分からでる言葉には優しい言葉ばかりではなく
時には相手を傷つけてしまう言葉や
傷つけたことすらわからないでいることもある。
そんなことばかりを気遣っていては
素直な自分の本当の言葉がいえなくなってしまうし
相手はそれほど気にも留めていないかもしれない。
実際のところは自分の発した嫌な言葉には
自ら傷つく・・ということのほうが多い気がする。
風が吹くたびゆらゆらと・
どうしょうもなく大きく揺れてしまうのだけど
揺れが全く無くなっては
淋しいのだろうね、きっと・
言葉によって傷ついて
言葉によって救われて
言葉によって優しくなり
言葉によって落胆す。
ブランコ・ぶらんこ ではなく 鞦韆。。
もっとシンプルになればよいものを。
時に頑なな私は
ぶらんこにはなれないのかな。。などと 思ってしまった。。
2006-06-25
白香付く木綿は花物言こそは
何時のまさかも常忘らえね
万葉集 巻一二・二九九六 作者不詳
-しらかつく ゆふははなもの ことこそは いつのまさかも つねわすらえね-
語感が心地よい歌であると思う。
まさか -真枝のように-
ふわふわの白い綿の花
つかめそうでつかめなくて
も一度見たさに振り向けば
もう其処にはいないかも
忘れられない言葉というのは
美しく確かで真実味に溢れている。
目で見るものは一瞬の儚いものではあるけれど
貴方の言葉は永遠に。私の心に刻まれる。
シンプルに考えろ。。といわれても・イロイロもろもろ考えることは無いといわれても
私の心の中に残って、時々其れは顔を出す。
過ぎた日の言葉であり、今の彼が発する言葉ではない。
そんなものに改めて感動したり、傷ついたりするのは馬鹿馬鹿しいことだけど
何度も何度も 取り出してみては噛みしめる。
“逢わない時間が愛育てるのさ〜♪” とか郷ひろみが歌っていたけれど(古っっ)
逢わない時間が増えるほど、また一からの勇気が必要になる。
自分のためだけの・・自分本位の勇気が。
いっそ誰かの為ならば何も考えず行動に及ぶのに。
それだけの勢いがない。
相手の苛立ちがすこしわかる。
『逢えたら奇跡』 と言葉にした。
言葉にしてはいけなかったような気がした。
つれづれなるままに -39-
2006-06-04
知る知らぬなにか
あやなくてわきていはん
思ひのみこそ しるべなりけれ
古今和歌集 巻十一
知っているとか 知らないとか
そんなこと・拘るのはすじもないこと・・
思いだけが人を人に会わせるしるべなのです
迷うより・・私を『好き』な気持ちを優先させて・・・
どうにも気がかりでしょうがないアノ人の顔がわすれられない。
でも・声をかけてよいものかどうか戸惑うオトコ心にオンナはこう返答するのだ。
人の気持ちとは時に裏腹な行動にでるものだ。
思ったことを行動ですんなり示すことのできる人。。
思ったことの半分も表にだせなくて悩む人・・。
それはそれで・そのどちらにも違った魅力がある。
私の気持ちを優先させて などと言ったことナイが
一度くらい我が侭のいえる可愛いオンナになってみたいものだ・・
その様なことが言える相手に出会わないのだから仕様がない。
涙のキライな・・弱弱しいことを言われるのが嫌いな、そんなオトコばかり好きになるのだから仕方ない。
しかし、、オトコの胸で泣くオンナにはなれないが・私の胸で泣かせてあげることなら出来る。
この前の別れ際はことさら切なかった。。
泣きはシナイが、もし周りに誰も人がいなければ・
きっと迷わず手をとって引き寄せ・抱きしめたことだろう。。
・・・これは本来は恋する男性のする行動だわね・笑
迷うより・・・好きだという気持ちを優先させるとこうなるのだ。。。
つづきは・・・つれづれなるままに -38-
2006-05-26
あれのみぞ君に恋ふる我が背子が
恋ふとふことは言のなぐさぞ
万葉集 巻四・六五六 大伴坂上郎女
恋しいと・・想っているのは私ばかり
あなたが恋しいと言うのは口先ばかりよ
恋愛における『言葉』の役割は、とても難しいように思う。。
それでもオンナは その『言葉』を欲して止まらないのであるが
いわなければ思いも何も伝わらないから、それが・たまらなく嫌で口 に出すのだが
言ったからといって信じてもらえるか・・というと、相手の気持ちはわからない。
反対に言い過ぎても嘘っぽく言葉が余計に軽くなってしまう気がする。
言葉に感情をのせて・・そのさじ加減が微妙なところだ。
そんなこんなで返事が来ない=無反応と決め付け、自分への関心が薄れたか・もしくは
興味もなくなってしまったかと落ち込む。
この歌においてのように『どうせ・・』の心情なのだ。
どうせ・・思っているのは私だけ。
どうせ・・どうでもいいんだ。
素敵な恋をしていても、こんな気持ちになっては台無しだということは百も承知。
今週・・よからぬ高熱でちょっと可笑しくなってしまった私は
言葉にするのがちょっと難しいと感じて仕方ない。
最もわかって欲しい・・わかりたい人への言葉がでない。
さて・・・この和歌は
言葉を発する割りに行動に愛情が感じなかったり、足りなかったりしたせいで
相手の女性(作者)からダメだしの一首だと思う。
“女性について、よいことをおっしゃる男性は大概ダメな愛人でした。
偉大な実践家はつべこべ言わずに行動するものです” とはジャンヌモローの言葉。。
行動が伴う愛の言葉に真実味を感じる。。とは、なかなか思うようにはいかないものである。
私はなるべく“こうあってほしい・・”と思うことは書くようにしている。
読んだ者は少なくともその言葉が心に刻まれるだろうから。。
私を少しでも“大切”という気持ちがあるなら、
その言葉を心に留置き実践しょうと努めてくれているからだ。
反対にあってほしくない・・してほしくない事柄は書かないようにしている。
これまで何度か書いて痛い目にあっているからだ・・心がね・笑
2006-05-24
海の底沖つ玉藻の なのにその花
妹とあれと ここにしありと なのりその花
万葉集 巻七・一二九〇 作者不詳
“海” と書いて “わた” と詠む・・ ワタノソコ・・ なんかイイ。
「なのりそ」とは 海藻の一種 ホンダワラ。 「な告りそ」に掛けている。
海の沖になびいている玉藻のなのりその花
愛する人と私が 今此処にいる・・ということを
人には知らせないで
そっと・ひそやかに育みたいのだから
海藻なのに“花”をつけるのか・・(?) と思う。
これは相手に対する美称なのだそうだ。
噂になっては大変なこと。。隠すのが当然なのだと知っているけれど
誰一人として知らないのは・なんだか淋しいしもったいない気さえする。
私はとても素敵な恋をしてるのよ〜 とか笑
密やかに淡い恋に身をやつしているのよ〜 なんて、、いわないか・・・笑
でも・つい、“実はね、、”と話してしまいそうな衝動に駆られることがあったりする。
イケナイ・イケナイ・・・ と
人に話すと、その魔法はすっかりとけてなくなってしまう様に・・
口にしては壊れてしまう呪文のように・・
“実はね・・・” という言葉を封印する。
けど・・私は此処で書いてしまっているし、
事情をきいてもらえる有難い方たちが此処にいるのだし。。・・
そのおかげで心の安定が随分測れるのだ。
恋する人の微妙な気持ちは・・海藻にだって花をつける・・のだそうだ。
伊勢物語もなかなか面白い。。というよりエロティック!?
またエントリにしてみようと思う。。
2006-05-13
浅茅原 小野に標結ふ空言も
逢はむと聞こせ恋のなぐさに
万葉集 十一巻二四六六 柿本人麻呂
浅茅原 -あさぢはら-
標結ふ -しめゆふ-
空言 -むなこと-
嘘でもいいから
ただひとこと『逢いたい』ってそう言って
あなたを想う苦しさも
少しはまぎれるはずだから……
やはり・・恋歌を。。
万葉集には実に恋の歌だらけ。
そのうち・違ったものもエントリにしよう・・と考えているのだが
まだまだ未熟な私は、やはり彼の言動・メールの言葉に揺れてしまうから
とても深く共感を呼ぶ・・古の美しい言葉にのせてオモイを馳せてしまわずにはいられない。。
・・そんなわけでこの歌は
“嘘でもいいから優しい言葉をかけて” ってやつだ。
そういうことを思ったことは多々あり、今も時々思うのだ。
カンタンな4語の“逢いたい”を、カンタンに喜ばせるためだけにいうことも憚られるのか。と
その言葉がどんなに恋心の癒しとなるか・・と。
しかし・・“空言”では困るのだ。
“嘘の優しい言葉”をもらっても虚しさだけが残るのではないか。
優しい気持ちは直接的な言葉でなくても伝わる。。
それでも相手の思うことが知りたい。
ただなんとなくしている恋ではないのだ。
語り合うことでもつれた感情の糸を手探る快感が時にあるからこそ・止められない。
現実・生活から離れた空間・かわす言葉・揺れるオモイ。空気間。匂い。
ふとした時の表情や仕草。親しい友人のように、穏やかで静かなふれあい。
すべて今の私に必要であり、自分のためにエゴは出してはいけない。
一途にオモイが暴走しないように。壊さないように。
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